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Case

導入事例

【私の経歴】

新人時代に本社と工場勤務ができたことは“財産”
様々なことから学んだ「人との向き合い方」芽生えた「社会インフラの一端を担う意識」〈前編〉

株式会社オカムラ 顧問 土志田貞一氏

Contents 01

インタビュー概要

ジェムコ日本経営とゆかりのある方の半生を紐解く「私の経歴」。今回は、株式会社オカムラ 顧問の土志田貞一氏にお話をお聞きしました。前半では、幼少期から、オカムラ入社のきっかけや新人時代、印象に残っている仕事などについてご紹介いたします。

<略歴>
1975年 4月 株式会社岡村製作所(現・株式会社オカムラ) 入社 勤労部 配属
1988年12月 生産本部 第一事業部 戸塚工場長
1991年 3月 生産本部 第四事業部長
情報システム部長・経営企画部長などを経験後
2006年 6月 取締役企画本部長 兼 経営企画部長
常務取締役・専務取締役を経て
2019年 6月 取締役 専務執行役員
      コーポレート担当(経営企画部、情報システム部、購買部、業務改革部、広報室)
2021年 6月 顧問

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幼少期・学生時代
生まれも育ちも茅ケ崎。スポーツに夢中でした

茅ケ崎生まれ・茅ケ崎育ち。茅ケ崎第一中学校の出身なのですが、先輩に加山雄三さんがいらっしゃいまして、私が中学生の時「君といつまでも」がヒットしたことをよく覚えています。オカムラに入社して山形に赴任していた時には、「湘南ボーイですね、もてるでしょ」なんて言っていただいたりしましたが、地元に帰ればみんな「湘南ボーイ」ですから、そうはいきません(笑)。

子ども時代はとにかく、スポーツに夢中でした。小学生の時は野球。3・4年生の時は、自分たちでチームを作り活動していたのですが、5・6年生になると友人のお兄さんが監督をしていたチームに入りました。中学・高校はバスケットボール部に入部。インターハイ出場を目指しての高校の合宿は今でも思い出したくないくらい、厳しいものでした(笑)。

早稲田大学では、 理工学部 工業経営学科でマネジメントやIEなど経営工学を学びました。
「大学では自分の実力ではバスケは無理だな」と思っていた時に、「出身高校のバスケ部のコーチをしないか」と声をかけていただき、2年の時はサブコーチ、3年でヘッドコーチをさせてもらいました。週3回くらい高校に通って教えていましたね。学校の勉強ばかりというよりは、スポーツやアルバイトなど多くのことに取り組んだ学生生活だったように思います。

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新人時代の出来事
オイルショックが招いた入社してすぐの“試練”

将来について考える時、家族の影響はあったと思います。父はある企業の役員をしていました。私は名前に「一」が入っていますが、末っ子。長兄は若くして亡くなり、次兄は国家公務員になったこともあり、父の姿を見ていて、自分も実業界で活躍したいという思いはありました。

そのような中で縁あってオカムラに入社をすることになったのですが、いきなり試練がありました。私は昭和50年入社ですが、ちょうどオイルショックのころ。オイルショックによる不況の影響で、入社してすぐ「自宅待機」になったんです。実は私は入社前に結婚をしたのですが、それなのに会社に行けないわけですから。自宅待機を言い渡されたときは戸惑いもありました。

当時の状況下では、自宅待機のような対応をとった会社もあったようです。社内の人には時々冗談のように言うのですが「私は入社式も新入社員教育もなかった。会社に借りはない。だから自由に発言する」と(笑)。

2か月後から出社することになり、最初の配属先は勤労部(現在の人事部)でした。そのあと、1年半後に山形県の高畠工場に赴任することになりますが、新人時代に本社と工場勤務を経験できたことは、自分にとって財産になったと思っています。
勤労部に配属されたときは、人事評価制度改定に携わりました。制度の作成はもちろん、各工場の工場長をはじめとする皆さんに説明にもいきます。まだ2年目ですから、現場のこともよくわかっていない。そんな時に、高畠工場へ異動することになりました。本社の人間として人事制度を説明しに行っていた工場に、今度は生産管理の一員として行くわけです。本社で人事制度を作っているのと、工場で毎日毎日受注処理をして生産の打ち合わせをしているのでは、同じ会社でも全く違う。そういう中で「実際現場はこうして動いているんだ」ということを知ることができたのは大変良かったと思っています。

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印象に残る仕事
工場閉鎖を通じて学んだ「人との向き合い方」

その後、再び本社や追浜工場で勤務した後、戸塚工場の工場長になりました。オフィスなどで使うスチールのデスクを主に作っていたのですが、赴任して一年くらいした時「工場閉鎖」という話に。それから工場長として、工場を閉めるという業務を行うことになりました。たいへん難しい部分も多かったですが、いい経験をさせてもらったと思っています。

一番大きいのは「人との向き合い方」。従業員一人ひとりと面接し、これからどうしていくかなど話し合いました。つくばの新工場へ異動してもらう人がほとんどでしたが、家庭の事情でできない人なども。不公平が出ないようにも気を配りながら、納得いくまで話し合いをしました。「一人ひとりとちゃんと向き合う」ことを学ばせてもらったと思っています。

この時の経験もそうですが、20・30代の時は、迷ったり悩んだりすることが多かった。今でもですが、そのような時は聖書の言葉に支えられました。そして39歳の時に洗礼を受けてクリスチャンになりました。普段使っている言葉でも聖書からくる言葉も多く、実社会でも役立つことは多いと思っています。

株式会社オカムラ 顧問 土志田貞一氏

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