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Case

導入事例

【私の経歴】

人とのつながりを大切に 関係する会社とも信頼関係を築き
“ONE TEAM”で仕事に取り組む<前編>

昭和電工株式会社 SPS改革推進部 シニアアドバイザー 水野義治 氏

Contents 01

インタビュー概要

ジェムコ日本経営とゆかりのある方の半生を紐解く「私の経歴」。今回は、昭和電工株式会社 SPS改革推進部 シニアアドバイザーの水野義治氏にお話をお聞きしました。前半では、幼少期から化学メーカーに進まれるきっかけ、会社に入って一番印象に残っている仕事などについてご紹介いたします。

水野義治 氏

昭和51年3月 慶応義塾大学工学部電気工学科 卒業
昭和51年4月 昭和電工株式会社入社 大町工場製造部電気課
昭和61年9月 同 川崎工場製造部動力課
昭和62年3月 同 川崎工場製造部動力課発電給水係長
昭和63年8月 同 川崎工場製造部動力課電気係長兼務
平成 2年 8月 同 川崎工場製造部動力課長
平成12年9月 同 川崎工場製造部次長
平成16年7月 同 無機事業部門大町事業所長
平成21年1月 同 執行役員 石油化学事業部門大分コンビナート代表補佐
平成22年1月 同 執行役員 石油化学事業部門大分コンビナート代表
平成24年1月 同 執行役員 無機事業部門長
平成26年1月 同 執行役員 事業所管掌(12事業所)
平成27年1月 同 執行役員 退任
平成27年3月 昭和電工ガスプロダクツ株式会社 常勤監査役
平成29年3月 同 常勤監査役 退任
平成29年7月 ヴェオリア・ジェネッツ株式会社 エナジー事業本部技術顧問
 
平成30年4月 昭和電工株式会社 SPS改革推進部 シニアアドバイザー
平成30年7月 昭光通商株式会社 シニアアドバイザー
平成31年1月 ヴェオリア・ジェネッツ株式会社 エナジー事業本部技術顧問 退任
現在に至る

Contents 02

幼少期・学生時代
活発な子どもで、音楽好き。
ビートルズに夢中になりました

生まれは東京都武蔵小金井市、1歳で新宿区に移り住みました。小学校のころは、活発な子どもでしたね。近くに草木が生い茂る広場も多くありましたので、昆虫採集やゴロベース(ゴロ野球)をして遊びました。習い事は「ピアノ」と「絵画」。このころから音楽に興味があり、親しかった友人の影響でシャンソンを聴きながらチェスをしていました。少し“渋い趣味”で子どもらしくないですかね(笑)。


中学校では理化部で活動する一方で、生徒会にも立候補。1年間「会計」をやりました。また、このころ一番夢中になったのは「ビートルズ」。今でも好きですが、当時同級生のお母さんにビートルズの映画につれていってもらったのもいい思い出です。

Contents 03

人生の転機
全寮制の高校生活、大学の水泳部は厳しくも
人生に影響を与えてくれました

高校は、寮生活を経験している父の「人間性を創る必要あり」との決断で、全寮制の東京都立秋川高校に入学。創立したばかりで、私は3期生でした。学校の理念は「黒い秀才を創る」。いわゆる“文武両道”の学校でしたが、一部屋8人の寮生活で成績は下がる一方。日に焼けて黒くはなりましたが、秀才にはなれませんでした(笑)。この3年間は今思い返しても、とてもきつかったです。同級生に会うとみんな「あの生活には戻りたくない」と言っていますよ(笑)。でも、その後の人生に非常に大きな影響を与えた3年間だと思っています。


高校を卒業するころ、父が生死をさまようほどの大病にかかり、進学を悩む時期もありました。このころは高校時代の友人の死も経験し、様々な思いを抱えていました。そのような中で浪人したのち、慶應義塾大学工学部に入学しました。


工学部体育会水泳部に入部したのですが、毎日の練習や合宿は厳しかったですね。専攻は電気工学科。当時、就職が良いと言われていたことも理由です(笑)。しかしながら卒業時オイルショックの影響で就職難。特に電機メーカーは大幅に採用減。電機メーカーを諦め化学メーカーに進むことを決め、昭和電工に入社しました。

Contents 04

新人時代
最初の大きな仕事「SCRとSRの並列運転」は
今でも印象に残っています

大学の研究室ではシステム理論(弱電)を専攻していたのですが、当時四国の消費電力量と同量を、昭和電工1社で消費していることを知り、動力源、熱源としての電気を供給する「強電」の仕事を希望しました。


最初の配属先は大町事業所。もともとアルミニウムと黒鉛電極を製造していましたが、入社後暫くしてアルミ精錬事業から撤退。アルミ精錬に使っていた、直流大電流の電源設備を黒鉛電極の黒鉛化炉用電源設備に転用することになり、その仕事を任されました。 業務を進めると、大町の整流器設備だけでは容量不足ということが判明。千葉事業所で停止した設備も移設し、並列運転を行うことになりました。最初はSR(シリコン整流器)同士の並列運転。これは設計通り比較的スムーズに運転ができたのですが、次に行ったSCR(シリコン制御整流器)とSRの並列運転が大変難しいものに。「応答の早いSCRと遅いSRを並列運転することは大変難しい。制御できない可能性もある」と、メーカーに仕事を引き受けてもらえなかったんです。それでも「理論的には出来るはず」と技術者同士お互いに納得するまで徹底的にディスカッションを行い、並列運転実行に向けて動き出しました。


しかし試運転を行うとメーカーが懸念していた通り、ハンチングが起こり指令通りに制御できないという事態に。運転しては止めるということを繰り返しましたがうまくいきません。大変大きな事業だったこともあり、メーカーの担当者と私は青くなったことを覚えています。


それでもあきらめず、徹夜で制御系の調整を行い、丸一日かけ試運転で成功させました。運転成功を確認できたのは、夜中0時過ぎ。街に繰り出し、閉めかかっていた店を開けてもらい(笑)、皆で祝杯をあげました。この時の酒の味は今でも忘れられません。

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